略歴   芝下 裕章(弘祥)   詳しくは、下記のから

1964年1月26日 熊野新宮にて生まれる。
昭和57年和歌山県県立新宮高等学校卒業後、京都の現在の明治国際医療大学に学び卒業後、はり師免許証(和歌山県免許証番号3002号)・きゅう師免許証(和歌山県免許証番号3002号)の資格取得後上京する。

   


東京の帝京医学技術専門学校柔道整復学科に学び卒業、昭和62年柔道整復師免許証(東京都免許証番号5483号)資格取得、

            

上京してすぐ都内の整骨院・鍼灸院に勤務、母校の紹介で大阪のペインクリニックの専門病院である兵田病院に勤務、三重の鈴鹿の接骨院で住み込み等にて医療技術の研鑽後、平成4年4月5日故郷の熊野に戻り開業、また、東京で一緒に働いた鍼灸師の先生の影響で氣功を知り、本とビデオで独学にて氣功師(中国北京にて、氣功能力検測中心にて測定を受ける)となり、25年、現在も毎日氣功及びヒーリングにて治療。各種障害放射(電磁波過敏症等)の臨床経験10年、。
医療ダウジング を習得し、日本ダウザー協会の正会員のダウザーです。
ケアマネージャーは、国家試験の第1回目の時に合格しました。
また、催眠誘導の勉強もしてヒプノセラピストでもあります。


弘祥のブログです。当院の臨床で患者さんのからだが、自分に教えてくれたことを、中心に書いています。
良かったら、また、おいで下さい。
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ホームページは、2007年9月23日開設しました。
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ありがとうございます。以下は、自分のショップです。日本の癒しの地「魂のふるさと」として、今、注目を浴びる世界遺産の熊野から、皆様の健康に役立ち、しいては地球の環境をいたわる…そんなものをご紹介しております。
どうぞ、お氣軽にお越し下さい。

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   メディア掲載実績


             


   











弘祥(芝下裕章)のプロフィールです。長いですので興味がありお時間のある方は、よろしければお読みになって下さい。

1964年1月26日 紀州熊野の和歌山県新宮市生まれです。

                 

2016年現在52歳です。O型のみずがめ座で辰年です。1964年は、昭和に直すと昭和39年になります。そうです、日本の東京で初めて開かれたオリンピックの年の生まれです。その年の10月10日(昔の体育の日)が東京オリンピックが開会した日です。また、東京オリンピックにあわせて日本が世界に誇る新幹線が開業しました。
自分の同級生のアルバムは、東京オリンピック記念の物か新幹線の開業記念の物が
多かったと記憶しております。ちなみに自分は東京オリンピックです。

                 



自分の同級生には、あなたもよく知る有名な方では「かっぱえびせん君」と「新幹線君」がいらっしぃます。
(笑い)。大人になった今でも、かっぱえびせんは、「やめられない、とまらない」状態です。

       


住所の牟婁は、以前自分は調べた事があるのですが、奈良時代からの名前だそうです。三重県に北牟婁郡、南牟婁郡また川向こうのの和歌山県に東牟婁郡、西牟婁郡が現在もあります。(これについては、また、ぶろぐにでも書いてみたいと思っております。)

 幼稚園は和歌山県新宮市の今は、閉園した聖テレジア幼稚園、小学校は三重県紀宝町成川小学校、中学校は三重県紀宝町の矢渕中学校と途中転校して和歌山県新宮市の緑が丘中学校、高校は和歌山県立新宮高等学校に通いました。

自然がいっぱい(高校生の時に見たのですが、当時、新宮にあった国鉄にスローガンが書いて貼っておりました。「紀伊半島を陸の孤島にするな!」と うまく言うなぁと妙に覚えております。)の紀州熊野で生まれ育ちました。


         


小学校2年生の運動会までは、超がつく健康優良児でしたが、翌朝の朝、突然、意識を失いひきつけ、けいれんの発作に見舞われ、それ以後、運動という運動は、ドクターストップとなりました。午後1時頃と午前1時頃に決まって現れる頭が割れるくらいの激痛が起き、小学校低学年の頃は、12時30分になると、早退しておりました。自宅に帰り寝間着に着替えさせられて、ふとんに入っていると、それまで元氣だったのが、午後1時頃を境として、毎日、激痛のため悶絶し意識もよく失い小児科の先生に助けてもらいました。小児科医の診察や脳波を取るなど大学病院にもよく、お世話になりました。

また、この時に幽体離脱を経験し、その後毎日、離脱しておりました。(信じていただけないかも知れませんが、八畳間をくるくる廻るのです。それもすごいスピードで廻るのです。その時は、わけがわからなくて誰にも話さなかったのですが、大人になって本やテレビを見て知りました。原因不明で幼少期を過ごしまして、小学校の保健室は、本当にお世話になりました。そのような時、熊野では、助けていただけるところがありました。家族以外に一番最初に、自分を助けてくれたのは、当時御浜町の神木(こうのぎ)におられた、故榎本弘岑先生です。榎本弘岑先生のお話は、かまんくまの100号に載っております。お持ちの方は、ご覧になって下さい。その次に、自分を助けてくれたのは、松阪におられた故冨田家睦先生です。冨田先生に助けていただいてから、ドクターストップも止まり、運動も再開しましたが、小二の運動会までは、家の周りの田畑で野球などして遊んだとき、よく外野まで飛ばしておりましたが、再開後は三振の山でした。如何に幼少期の運動が大切か、身を持って学びましたので、こちらにみえるお子さん方には、早く元氣になっていただきたいと、いつも、思っています。中学生の時も他の同級生と比べると疲れやすく疲れてくると、保健室にお世話になりました。その後、家族や皆様のお世話になり元氣を取り戻し、高校を卒業し現在の明治国際医療大学(自分は、前進の明治鍼灸短期大学の5期生です。)を卒業し、国家試験に合格して東京に出て柔道整復師養成の帝京医学技術専門学校に学びました。その際、中野区の整骨院、新宿区の鍼灸院にお世話になり、昼間は、国家免許をいただいたはり師・きゅう師として、また、柔道整復師の見習いとして、臨床に従事しておりました。そして、午後5時にあがって、夜は、渋谷区幡ヶ谷の帝京医専へ行くという生活を2年間しまして、ふたを開けてみたら無遅刻無欠席で皆勤賞をいただきました。


                  

その後、大阪狭山ののペインクリニックの専門病院である兵田病院で臨床経験を積み、三重県に戻り短期ですが、鈴鹿の接骨院に住み込みで修業させてもらって、平成4年4月から、ここ熊野で、鍼灸整骨院を開業させていただき現在に至ります。国家資格は、はり師・きゅう師・柔道整復師・ケアマネージャーです。

   


            

また、氣功師であり、ダウザーでもありヒプノセラピストでもあります。

 自分がこの道に進むきっかの一番の動機に、親父の病氣があると思います。日本の難病特定疾患治療研究事業対象疾患指定1号の病氣で病名をべーチェット病という病に自分は、10歳の時、親父が42歳の時に発症しました。

 最初、地元の個人医や総合病院で口内炎と診断されておりましたが、あまりにも様子がおかしく、数え切れない口内炎が、出来てその為親父のほほも薄くなって、ある日、食べていた小魚の骨がほほを突き通したこともありました。親父を毎日見てたお袋が家庭医学の本である病氣を読みまして、日に日に弱る親父を見てた親友から、「このままだったら、助からないかも…都会の病院に連れて行こら…」と、今となったら笑い話ですが、ある日、朝からひっきりなしにお見舞いが途切れることなくあった日がありましたが…、前日、お見舞いにみえた親父の友人が、「芝下は、もう、先は、長ないと思う…、はよ~、会(お)うとけ…」と吹聴したこともありました。それくらい、傍目に見て厳しい状態で、親父を心底心配してくれる親父の親友とお袋で相談して大阪の近畿大学医学部付属病院の東洋医学科の故有地滋教授に診てもらうことになり、連れて行きました。後で聞いたところによると、診察が、始まるやいなや、べーチェット病と即断された有地教授の呼びかけに、あっちこっちから医師が、東洋医学科に駆けつけてくれて、眼科の先生は、失明寸前…、口の中には、数え切れない口内炎…、粘膜に潰瘍も出来ている…までその日のうちに親父を助けるべく東洋医学科と複数の内科と皮膚科と眼科と…プロジェクトチームを作って下さって、親父を、助けて頂きました。

この時、東洋医学に興味を持ったような氣がします。

そして、自分自身に起こったこと…大きく分けて二つあります。まず、整骨に興味をもつきっかけになった事があります。それは、新宮高校1年生の時のクラブ活動の時の怪我でした。当時合氣道に在籍しておりいつもの練習中にわざをかけられて回転受け身をしたのですが、まだまだ、完成していないもうひとつもふたつもの回転受け身の際、着地した所が畳の上ではなく、畳を動かないように四方を囲む板の上でした。その板の上でしこたま腰を強打して息が止まってしまい、息を必死にしようとしても出来ないくらい痛かったのを今でも鮮明に覚えています。みるみる腫れ上がり、その日は、後は見学して家に帰りました。家に帰ってすぐに、湿布を貼ったり氷で冷やしたりしました。次の日からクラブは、見学しました。だんだんと打ちつけた場所は、変色してきてすごい色になり、だんだんとますます腫れてふくらんできました。それから氣付けば、腰痛持ちになっており、いろいろ検討した結果、合氣道のクラブを続けるのは、困難と結論を出し顧問の先生と主将に許可をもらい退部いたしました。それからは、授業が終わると直ぐ帰り養生しておりました。こんな時に転機がやってきました。京都の嵐山に住む母方の祖父の弟であるおじさんが、親戚のどこかで聞いたらしく

「それは、つらいやろう。どうやー、たかちゃん(母をいつも、こう呼んでいるおじさんです。)、京都にとても腕が良い先生が居てるんで、春休みに入ったらすぐに来ささんかぁ、こっちにおいでぇー、ここから毎日連れてってあげるさかいなぁ」

と連絡をくれました。そして、春休みに入ってすぐ京都に行きました。当時から保険扱いのされてないその先生は、開口一番

「そんな、遠くから来てくれたんかぁ」

「よっしゃー、ぼくにまかせー」

「きっちり、治したるー」

と…そして、毎日、先生の許可が出るまで通いました。毎日、毎日、おじさんに連れて行ってもらい、バスでの通院もそのうち覚え通いました。日、一日とその日より回復が始まりやがて、先生から

「もう、だいじょうぶやろう。」

「元にもどったでぇ」と「熊野に帰ってもええぞ」、

「太鼓判押したるでぇ、また、運動系のクラブ活動も出来るでぇ」

とその言葉をもらい治療を終えました。その晩、おじさんと食事をはじめ寝泊まりなど、とてもお世話になったおばさんや御家族のみんなに報告したら我が事のようにとても喜んでいただき、感謝を告げ熊野に帰りました。行きの京都まで座席に座っていると悶絶した特急列車の乗車がうそのように楽になってました。長時間座っていると飛び出てきた部分もなくなってました。このときのうれしさを忘れた事は、ありません。言葉では言い表せません。この経験が、まず、自分に最初に医療に興味を持つきっかけとなりました。


次に鍼灸に興味を持つきっかけになったことがあります。熊野に帰りすぐに春休みが明けて高2に進級した時に京都の整骨の先生の言葉「もう、だいじょうぶだぞぉ、」を思い出しまた。先生のありがたい言葉に後押しされてクラブに入部することを思い立ちました。合氣道部に戻る事もちらっと考えたのですが、自分には、センスがないのは、火を見るよりも明らかでした。どうしようかと考えあぐねていた時に声をかけてくれたのが、合氣道部で一緒だった現在、東京でカメラマンの仕事に就く熊野川町出身の下坂君でした。彼は、合氣道部をやめて弓道部に入っておりました。最初に見学に行った際、先輩方の放つ矢が的に当たる瞬間に聞こえる音を聞いて、弓道に魅せられ入部しました。入部してから弓道における胴作りという下半身の強化が目的の毎日、毎日、弓道場で立ってばかりおりました。胴作りと筋トレの毎日でした。合間に的の砂場の整地と的張りと点付けも学んで行きましたが、この胴作りは、弓を引くとき微動だにしないようにするのになくてはならない所作でした。そのうち、先輩1人ずつから胴作りのテストを受け先輩達の話し合いの結果、胴作りは卒業となりいよいよ弓を持つ事がゆるされ、次の段階へと進歩していきました。そして、先輩の前に同級生達と並んで、近的(きんてき…18メートルの間の距離がある的を射る競技)、遠的(えんてき…120メートルの距離のある大的を射る競技)の練習にはげみ田辺の大会や和歌山県外の大会にも出場させていただいておりました。腰も順調で快適そのもので、弓道の最初、胴作りで腰を心配したのがうそのようでした。しかし、そんな順調な弓道部生活にまた、腰の時と同じ感覚を覚えることが起こりました。それは、いつものように弓を引いているときに突然起こりました。普段と同じように、弓を引いていたのですが、突然違和感が起こり氣のせいと思って矢を放ってから、次の矢を弦に差し込んで用意して、弓を引いて行ったときに先ほどの違和感は、完全に痛みにかわっておりました。それで、弓を引く練習をやめて、様子を伺いいろいろな動きの中でだいたい同じ動作の際に激痛が起こる事を確かめました。また、好きな事が
出来なくなるのでは…とショックで自宅に帰りました。母に相談しましたらまた、ここでもう一つの転機がやってまいりました。「お父さんのおじさんが、新宮駅の近くで鍼灸院をされているので行っといでぇ、鍼が効くと思うから明日、弓の方クラブ休ませてもらって行っといでぇ」と…次の日、クラブに顔出しして先輩達の許可をもらってから、おそるおそる不安を抱きながら生まれてはじめての鍼治療におじさんの鍼灸院に行きました。先生の名前は、御本小一郎先生その人でした。

「そうか、自分が、文ちゃん(父のことです。)の子かぁ、どれどれおいちゃんに診せてみい」

御本先生は、全盲でした。当時は、知らなかったのですが、幼い頃の怪我が元で視力を失ったことは、後で知りました。先生が、上半身裸になった自分の後ろに立ち、背中を触ったり、右手を伸ばしたりして

「ああ~。わかった。ここやな、傷めたんやな。」

「よっしゃ~、この寝台に寝てみぃ、そうそう右側を上にして横向いてぇみぃ」

そして、生まれてはじめての、鍼を打ってもらいました。打ってもらっている間に、不思議と痛みが少しやわらいで、来ました。

「今日は、これくらいでええやろう」

と先生は、奥にいるお手伝いさんを呼んで、確認して

「○日にいらっしゃい…」と先生と約束して、自宅に帰りました。

次の日、朝起きたらじっとしていてもあった痛みは、なくなっておりました。また、約束した日を含め、先生の指示のように通いうそのように治りました。このことがあって、自分は、鍼に興味を持ちました。深呼吸をすると痛んだ背中が数回で良くなって、ほんとうにびっくりしました。

新宮高校の2年生の時、遊びに来た父の友人が、あるパンフレットの冊子を自分にくれました。その冊子は、現在の明治国際医療大学の前身となる明治鍼灸短期大学の学校案内のパンフレットでした。鍼に興味がとてもあったので、すみからすみまで全部読みました。読み終わるとこんな学校で学んでみたいと思い始める自分がいました。少し経って、父母に話したら共に大賛成してくれたので、推薦入試のことも出ていたので、当時の担任の和田義史先生に相談しました。1年の時勉強は、大嫌いでまったくもって素晴らしい成績でしたので、和田先生は、長時間、時間をとって話しを聞いて下さり自分の本氣度を見てから、校長先生に相談して下さいました。やはり、一年の時の成績が、成績でしたので無理もないと思います。とても学校長推薦など、足下にもおよばないさんざんな成績でしたので、お話しを聞いて下さった校長先生は、和田先生に伝言してくれました。

「わかった。幸い、2年になってからの今の成績は、少しましやな。」

「この子、勉強する氣になったんか?」

「2年、3年を死にものぐらいで勉強しろ。1年の時の成績を取り戻さなあかん。」」

「絶対、氣をぬくな、とにかく勉強をがんばるんや。」

そうしたら、きっと3年生の時喜んで学校長として推薦してあげれると担任に話して下さったようでした。

それからは、本当に勉強したと思います。弓道をしながら勉強出来たのは、本当にラッキーだと今は思います。もし、クラブを止めて勉強ばかりしていたら、自分は、どこかでこわれたかも…と思ってしまいます。

高校3年になって入試が刻々と近づいて来たとき、学校長の推薦をいただけたのは、2年生から引き続き担任して下さった義史先生のおかげです。今でも、先生には、本当に感謝しております。
また、和田先生は、推薦入試に小論文があるのを確認するや小論文の指導の為、父や家族が見終わった家の産経新聞のサンケイ称を毎日切り抜き、ノートに写すことを指導してくれました。そのうち、その文章の感想を書いたり、さらにまとめたりなど、その後は、実際の小論文を書く学習を指導して下さり、入試では、800字以内きっかりにうまく書けました。

(この学生生活の稿、いまだ書いている最中です。また、アップしたいと思います。氣長にお待ちいただけたらと思います。)



氣功というものの存在は、知ってましたが、初めて氣を身近に感じたのは、新宿の鍼灸院に勤めている時に経験しました。前からスタッフの中の女性の鍼灸師の先生が入ったカーテンの中からは、先生と患者様の不思議な会話が聞こえて来ておりました。前から不思議に思っていました。就職してすぐから不思議に思っていました。

「あーここは、良くなったねぇ。」

「今日、ここ痛いよね。」

患者様「あっ、いたたた、。」「そう。そこ、そのとおり…痛いです。」

「ここも少し調子悪いんじゃないの?」「ああ、そこも…いてててぇ」

「うんうん、ここよくなったじゃん。」

そんな会話が聞こえてきてたんです。

謎解きは、就職して1ヶ月位経ったある日曜日にやってきました。その日の患者様は、友人同士で連れ立ってお見えになったため、患者様らの御希望で普段は閉めてしまう、患者様のベッドと患者様のベッドの境にあるカーテンを開けっ放しで治療しました。ちょうど、自分の目の前がその先生で、自分は、その先生を少し観察しておりました。その時その先生が患者さんの方や、背中や肩、腰、首に手をかざしていつもの会話をしました。

「ここだね、…、」

「先生、相変わらず、いつもよくわかるね。」

「ここ〜、痛いでしょう、○○さん、」

「おぅ、いたたたたた」

「はい、とても、痛いです。」

「言ったこと、守らなかったね。」

「……」

などを話しておりました。その日の診療を終えてからその先生におもいきって自分は、聞いてみました。

「先生、今日初めてわかったのですが、先生は患者さんの体に手かをかざして何をされてるんです?」

そしたらその先生は、

「芝下先生、手のひらをここに差し出してごらん」

言われた通りに両手を差し出しすと、

「すごいじゃん、すごい出てるよ。芝下先生、なぜ、これを使わないの?」

と反対に聞かれ返答に窮しました。

その日、当時住んでいた中野の野方に帰りながら歩いてる時も、電車に乗っている時も手のひらをじっと見つめたり、触ったり、押したり、あるいは、両手の手のひら同士を向け合ったりしながら帰りました。自宅についてからも、目を瞑って両手を向かい合わせにしてみたり、お風呂に入ってからも湯船の中で同じことの繰り返しをしました。そして、月曜日、帝京医専帰り際に本屋に行って1冊の本を買い求めてきました。毎日毎日、暇があったら、同じことをしていたら、ある日、確かに何かあるということが、わかりました。それが、氣感というものだとわかりました。わかれば、面白いもので、氣功にのめり込みました。仕事場では、先生にいろいろ聞いて教えてもらいましたが、本格的に氣功の功法を学んだということでは、なかったのであとは、本とビデオで独学しました。一度、友人について行って、中国の氣功師の施術を見させてもらいました。



 氣功師としての経験は、25年以上余りあります。振り返ると、日本も、変わってきたなと思います。にわかには、信じがたいことを、目の前でさせていただいた場合、オカルトや迷信みたいにとられて、一時は、たいへん苦労しました。それが、今は、すんなり受け入れていただける場合が、増えてきました。遠隔氣功も、受け入れていただけるそんな時代が、来たのかなと思っております。

 熊野に戻って来る頃に御縁をいただいた先生に、平成23年に亡くなられた、故妙智先生がいらっしゃいます。御縁をいただいて、しばらく経った頃、先生が、「あなたは、霊媒体質だから、自分で切るため修行をする方が良い。」とすすめてくれたった一人で熊野の山深いある滝に伺い水行をさせていただきました。このとき、二回程、死を覚悟することを経験しました。しかし、お陰さまで、2回とも元氣に山を下ろしていただき、今があります。その後、妙智先生には、本当にたくさん助けていただきました。

氣功の技術は、熊野の神仏のはからいか運良く独学で身につけることが出来ました。最初の8年間、本とビデオが、御師匠様がわりでした。転機は、1994年中国の北京で、1人の御師匠様(乾字龍門功の創始者・蘇學良老師)に出会いました。
中国で短期でしたが指導を受けている際に、老師(先生)からお話しがあり、「日本に帰るな。ここで、3年間衣食住を私と共にしよう。」と話されました。自分が、きょとんとしていると通訳さんが「蘇先生と生活を共に3年間して氣功師として修行することにより、全てを授ける。」とおっしゃっております。 と自分はあわてて初対面の時にお渡しした名刺を見せました。先生は、「ああーそうだった、忘れていた、開業しているのなら、患者さんが待っているだろうからと…では、私が日本に行った際は、出来れば必ず会いに来るというのは、どうか」とおっしゃられました。
滞在が終わり、明日いよいよ日本に帰る晩、ホテルの部屋に通訳さんと一緒に入ってこられ、「最後に、何か聞きたいことや、希望があれば、何なりと話しなさい。」と先生がおっしゃいました。自分は、その際、「独学で身につけたので我流です。」先生から、自分を見られて、「氣が通っていないところ(まだ、氣が通じていないところ=氣功では、三関という、氣のつまりやすいところが、督脈と言うものにあります。)は、ありますか?」
「そして、もし、あれば、このまま、日本に帰って鍛錬すれば開くようなら、つまっている場所を、だいたいでいいですから、教えて下さい。」「そして、もし、一人では、開くことが難しいだろうと、思われるようでしたら、少し助けて下さい。」と伝えました。

そうしたら、すぐに、「ティーシャー メイヨ」 (ティーシャーは、中国語で発音した自分の名前の芝下です。メイヨは、「なし。」と言う中国語です。)
続けて「そんな所は、どこにもない」「大丈夫だ、全部開いている。」「ほかにないか?」「では、先生、自分は、外氣を出して治療した際、患者さんがベッドの上を外動(=からだが、勝手に動くこと)することがあるのですが、自分自身は、したことがありません。(現在は、自発功にて、しますが、当時は、したことがなかったのです。)一度、体験したいです。」

「明白(ミン パイラ)」=よく、わかった。と言って、ベッドとベッドの間に立つように言われ、立ちました。先生は、自分の後ろ3mくらい離れた所に立ちました。先生が発氣されると、だんだんと腰の部分からからだが温かくなり、その結果後ろ向きに少しずつ引っ張られ、最後は、ベッドに大の字に倒れこみました。この時の感激は、今も深く鮮明に残っております。また、翌日早朝、日本に帰るためにロビーに降りていくと、先生が自分を通訳と一緒に待っていてくれて、一つの「功」を授けて下さいました。ロビーで何度も注意されながら、立たされてOKが出るまでやらされました。そして、この功を日本に帰ったら、毎日することと指導を受け帰ってきました。

  

その後、先生が日本にお見えの際、東京に会いに上京すると、ニコニコ顔で迎えて下さり一つ一つの餃子の皮まで全て手作りの水餃子を作って食べさせて下さいました。翌朝は、早朝、近くの公園で氣功の鍛錬を受けました。先生は、全てお見通しで、功の完成度を見抜かれまして、よく、おこられました。その後、日本で氣功の臨床をしていて、わからないことがあったときは、先生をちょうどたずねられる友人にお願いして質問をすると、友人の帰国時に具体的な方法を伝授して下さいました。その後は、中国国内の事情で、日本に来る事が難しくなったようです。

氣功師として、たくさんの先生方と、現在まで、親交がありますが、最も影響をいただいた先生は、茨城県にお住まいだった世界的に有名なヒーラーであられたセラピー療術院の故忍田 光院長先生です。忍田先生とご縁をいただき、10年を越える月日をおつきあいさせていただきました。先生と、最初お会いした時、誕生日が一日違いで、御縁を深く感じたことを思い出します。先生とお会いする中、たくさんの奇跡を見てきました。ここに筆記しても、誰も信じてもらえないような事ばかりでした。先生は、残念ながら2008年9月2日に光の世界に逝かれました。熊野にも、4回足を運んでくれました。また、その際には、講演会とヒーリングをしていただきました。今は、御縁に心から深く感謝致すとともに、先生のご冥福をお祈りしております。

 また、9年前の2005年にご縁をいただいた先生に、引き受け氣功の藤谷康允先生が、いらっしゃいます。現在、「一家に1人、氣功師を」を提唱された故池田弘志先生(フリージャーナリストで、御自身も氣功師でした。)の意志を継承され、日本全国に教室を開かれ、これから、いよいよ世界に出られる先生です。
先生とはじめてお会いした日の言葉が、今も鮮明に耳に残っています。先生が、「ねえ、お互い氣功師で良かったよね、ねえ、そう思わない」と言われ、「はい、本当にそうです。そう思います。」と答えを返しました。すると、「一緒に一家に1人氣功師を、熊野に作りませんか。」と言われ手を差し出されました。自分は、感激しまして「はい、ぜひやりたいと思います。」と言葉を返し、握手をかわしました。それから、先生の趣旨に賛同し、熊野新宮で教室のある際は、診療を午後から休んで、うちの患者さん方と一緒に参加しておりました。ただ、今は時間が取れないため参加はしておりません。自分の縁では、現在まで、120人の「一家に1人氣功師」が、熊野に誕生しました。中には、ここ熊野から、大阪の娘さんに、遠隔して、結果を出されたお母さんもおられます。興味がわいた方は、ワンダーライフ研究会のホームページ http://www.wonder-life.jp/ へアクセスして下さい。そして、一家に1人の氣功師になってみて下さい。

日本ダウザー協会のダウザーとしては、日々、Y-ロッドやペンデュラム(振り子)、L-ロッド、スウィングロッドなどの道具を使ってダウジングさせていただいております。自分のダウジングの師匠は、日本ダウザー協会の堤裕司会長です。最初、弟が買ってきた先生の著作が、自分の御師匠さまがわりでしたが、その後年数を経て先生と直接御縁をいただき、教えを請うことが出来ました。熊野にも1度日本ダウザー協会関西支部長の津野式びわ温灸療法学院長で奈良療法院の津野晃玄斎先生と遊びに来てくれました。先生を熊野三山のうち、おひとつ御案内していない所がありますので、また、熊野にお呼びする予定です。


   



現在、もっとも影響を受けて親しくさせていただいている先生は、白河伊都子先生です。先生を知るきっかけは、東京の鍼灸師の先生で特にガン患者様を、専門に手当てしている遠藤聡哲先生の書かれたブログを読んだのがはじめです。先生のブログの記事を読み何か惹かれるものがありすぐに、本屋さんに注文を入れました。その後本屋さんから配達があり、早速読み始めました。その本というのは「スピリチュアルプレゼント」という本でした。読み始めてすぐに思ったのが、いろいろなことがとてもわかりやすく書いてあり読んでいてすんなりと書かれている事が腑に落ちるという感じでした。読後すぐ思ったのが、一度、お会いしたいなぁという思いでした。転機は比較的早く訪れました。引き受け氣功の藤谷先生からお誘いを受け、江原啓之氏の初めての高野山大学での講演会と高野山の特別拝観がセットにされた催しに参加しました。初日、高野山大学の学長をはじめ池口恵観氏に続いて江原啓之氏のお話しを聞きました。講演会終了後、各宿坊に移動して部屋に入るとそこは、藤谷先生と同室の部屋でした。みんなで部屋の小さなこたつに入って、自分と藤谷先生も含めて4人で談笑してると同じ部屋の方がもう一方遅めに入ってまいりました。自分は、小さなこたつでしたので、こたつから出てごあいさつしてこたつをすすめて、部屋の端の自分の荷物の整理にとりかかりました。しばらく整理していたところ藤谷先生が、「今日の江原氏のお話は…」とそれに呼応して同室の方々も相づちをうたれたりお話しをされたりしていました。その時です。藤谷先生が、「うん、そうだ、今、思えば、女江原氏…そういう人に先日会ったよ。」と話すのが聞こえて来ました。それを聞いて自分は、整理の手を止めて「けっこう、大きな声で藤谷先生↑と声に出して、部屋の端から四つん這いで藤谷先生のいらっしゃるこたつの所まで早足で畳の上を闊歩して行きました。藤谷先生や他の方々が、何事かと口をあんぐり開けて自分を見てました。「先生、ひょっとしてその女江原さんというのは、お名前を白河伊都子という方では、ないですか?」と聞く自分に「えーっ、芝下先生、なんで知ってるの?」と今度は、藤谷先生が大きな声をあげました。「遠藤聡哲先生のブログを読んで、スピリチュアルプレゼントを読みました。」との自分の答えに「ああー、あの本読んだのー、僕も読んだんだよー、そうか、あの本読んだのかぁ」とすると、「いやあー、このあいだ、ある方の御紹介でお会いしたんだ…」と、そして、藤谷先生が、「今度、東京であるセミナーで白河先生が講演してくれる事になったので、東京に出てお出でよと。」誘ってくれまして、この日はじめて御縁をいただきました。


ダウジング実績としては、地元の熊野の他、全国の方を含めますと、現在まで3500を越える案件(=その内容ですが、地球上でその方を、特定して身につけるだけで、免疫力がアップしたり、電磁波障害から身を守ってくれる、すばらしくてありがたいEMのセラミックのネックレスと言う商品のダウジングです。)EMのネックレスですが、色が16色あります。その16色の種類のネックレスから、ダウジングして、その使われる方にぴったりと波長が合う1色を選び出すのです。

http://shibashita-arigatou835.com/Esera-16color-head-face.html

また、アロマテラピーや、光線療法などのダウジング の御相談にも、応じてまいりました。今も多い日は、Eセラのネックレスだけで熊野の地元の他、全国からの問い合わせにも応じております。


これからの抱負は、現在見えているオーラを、カラーで見えるようになること。

ドルフィンスイミングを、また、体験したいと思っています。


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                更新日 : 16/11/17  08:38:50




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