先日出かけた熊野の催しを一つご紹介したいと思います。

熊野出会いの里

 先日、弘祥が参加した、熊野であった催しを紹介いたします。名前を熊野出会いの会と言います。今年で第10回を数えます。主催者は、熊野出会いの里です。里長は大阪藤井寺ご出身で東京大学卒の方で日本の自然農法の走りと言われる麻野吉男氏です。自分は、過去に大阪の八尾の甲田医院の甲田光雄医師の講演会が熊野勝浦温泉で開催され出席させていただいた折りに知人のご紹介で麻野先生にお会いしたことがありました。その麻野先生が、自分の両親と親しかったそうで、実家の両親の所に遊びに来てくれた折りに当院を訪ねて来て下さいました。麻野先生と話す中、茨城の忍田 光先生とも20年前にお会いしたそうで、よく知っていらっしゃることや、他にもいろいろ話しをしました。先生は、「ギンヤンマが翔ぶ日 百姓が如雨露の穴から世の中見たら」という著書もあります。その話しの中で、熊野出会いの会の御案内をいただき、麻野先生から今までの参加の有無を聞かれまして「一度もありません。」とお答えしましたら「それでは、ぜひ今回は参加してもらわないと…」と誘われました。その際、「あなたは、診療があるやろうさかい2部にだけ参加してもらったら」と言う話しになりまして、それで弘祥のカヌー仲間で山登りやダイビングも一緒に出かけたりするアウトドア派の友人と出かけてまいりました。

 

 

 

 熊野出会いの会第2部に参加された一番遠くの方は、熊野ご出身でカリフォルニア在住の方でした。日本の遠くは、函館、広島の福山・尾道、大阪は藤井寺、神戸、三重の津などから参加されておりました。和歌山県からは、和歌山市、九度山町、高野口町、龍神村、すさみ町、白浜町、そして地元の熊野などから20数人の参加がありました。たいへん驚いたのは、リピーターが多いことでした。広島の方は9回見えられたそうです。10回皆勤の方もいらしたようでした。職業も行政にお勤めの方、熊野古道の案内人の仕事の方、小学校の先生を定年退職された方、小学校の先生を中途退職して好きな道を進まれている方、左官屋さん、大工さん、調理にたずさわれている方、自然食品の工場長、主婦の方、自分と同じような人の体を診させていただく方は4人おられました。アメリカと日本を交互に行き来して木削りの教室を開かれている方、そして、一番多かったのは、専業、兼業を含めると農業に従事されている方が多かったです。ご夫婦の方もいらっしゃいました。

 まず、時間の5時になりまして築100年以上経つ古民家の前の空き地で里長の麻野先生の簡単なあいさつがありました。その後、眼下に熊野川を見下ろすすばらしい見晴らしのいい場所で、木製のすごく広いテラス状の板間の上にござを敷いて座って自己紹介がはじまりました。ひとりひとり自己紹介するのですが、麻野先生から、話した内容について、いろいろとつっこみがありましたので、自己紹介だけで、2時間かかりました。どんなつっこみかといいますと、ある方が○○から来ました○○です。農業をしております。主に生産しているのは、○○と○○○の野菜です。出会いの会は、○回目です。今日は、よろしくお願いします。とお話ししたら、麻野先生が、「あんな、農業やっとるといろいろ苦労あるやろ、それこそいろんな苦労や もちろん経済的な苦労もそうやろう、どうしたら、この作物をもっとおいしくできるやろう、害虫のことなどなぁ そういうことをもっと、しゃべらなあかんでぇ、いろんな苦労あるやろう なぁ?」 とするとそれに答えるように、皆様いろいろなことをお話ししてくれます。弘祥もいろいろな異業種の方のお話しをいっぱい聞けてたいへん参考になりました。また、皆様本当に一本筋が通ったというか情熱のあるあつい方が多かったです。 ここで読んで下さっている皆様に雰囲気をお伝えしたいと思いますので、弘祥のところは、ありのまま、再現してみたいと思います。弘祥に順番が回ってきた時、「生まれも育ちも熊野の地元です。(弘祥は、新宮の生まれです。)現在平成4年に熊野に戻りまして、熊野新宮の川向こうの紀宝町で鍼灸整骨院をさせていただいております。出会いの会は初めてです。今日は、よろしくお願いします。」  とお話ししたら、「あんな、言うてるやろ、そういう仕事でもいろいろあるやん … と」そしたら、「そうですよ、なまえもまだですよ。」と参加者の方が教えてくれて どうやら、弘祥、あがったてしまったのでしょうか?なまえを言わなかったみたいです。それで、あわてて、自己紹介をやりなおしました。「ああ、すみません、なまえは、しばしたと言います。鍼灸、整骨もするのですが、氣功の臨床をやっておりまして、皆様それぞれに自然に治ろうとする力これを自然治癒力と言いますが、例えば、この力はじゅうぶんあるのに力が発揮できない方は、その力を引き出してきたり、また、その力が働く環境が出来ていない方には、その環境を整えたりするお手伝いが、できればと思ってさせていただいております。今日は、自分の両親が麻野先生と旧知の仲で両親の家に遊びにみえた際に自分の所にも遊びに来て下さいまして、出会いの会の第2部のお誘いを受けやってまいりました。……  。どうぞ、よろしくお願いします。」と、そうしたら、「あんなぁ、実はこの出会いの会にはなぁ、いつも、参加してくれる名物の氣功師の○○君というのが、おったんやけど、この彼なぁ、本当に治療が好きやったんやぁ。残念ながら、○○君は亡くなってしまったんやけどな、ここの彼もな、根っからの治療人や、治療が好きなんやなぁ。うちのスタッフも診てもろてるんやけど、だいぶ調子ええみたいや、こう見えてもなぁ、彼なかなかの名人や、みんなも後で診てもろたらええでぇ」と冷や冷やものに突っ込みを入れられ、弘祥があっけにとられているなか自己紹介は次の方にバトンタッチしていきました。

 その後食事タイムとなり麻野先生をはじめ奥さんや出会いの里のスタッフ達が作った野菜がいっぱいのサラダとHIROKOシェフの特製カレー(野菜とチキンの2種類がありました。自分はチキン)をいただきながら、いろいろな異業種の方とお話ししながら食事をいただきました。そして、とれたてのとっても甘いとうもろこしをいただき、しそジュースや梅ジュースなどもいただきました。ふと氣付いたら、後ろに白浜からみえられ氣を感じたいという方がおりまして、体験していただきました。レイキヒーラーの方がおられまして、みんなで車座になって、体験しておりました。白浜の方の手当てが終わった時ちょうど、弘祥を呼んで下さる方がおられ、生まれてはじめて皆さんでするレイキヒーリングに加えていただき体験させてもらいました。その後結局地元の熊野本宮の方がお二人と神戸の方とで4名の方を診させていただきました。皆様にたいへん喜んでいただきうれしかったです。治療後は、とってもすてきな木の香りのするひのきのお風呂をいただき、出てから深夜遅くまでお話しして昔、熊野新宮の河原に実在した川原家(現在のプレハブ住宅のご先祖様になるんじゃないかと思います。くぎをいっさい使わずに木だけで組んでいく独特の建築方法をとります。当時熊野川が大水などで増水時にはほんの短時間で解体して河原から避難して、川の水位が下がれば戻って簡単に組み立てたそうです。日本でもここだけにあったといわれるものです。現在、熊野三山の熊野速玉大社の駐車場入り口にもあります。)を再現した建物で眠りました。電氣がいっさいなく真っ暗な空間が新鮮でした。持参した寝袋の中で、眠りについてうとうとしていたら「コケコッコー」と鳴いたのには、驚きました。急いで時計を見るとまだ、3時くらいでした。滞在してわかりましたが、ここのにわとりはいつでも鳴いてるようです。こうして、1日目は終わりました。 つづく

 

下の地図は、熊野出会いの里を中心に自由にスクロールできます。図の左端の上に表示されているバーを上にすると詳細図、下に下げると広域図と、地図の縮尺も自由に変えられます。他府県の方は、縮尺を変えてスクロールしてみて下さい。
        

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